ロジカル★キッチン

時短料理woブログ

妥協は必要

正直言うと、新鮮な食材の切りたて、作りたての料理には、作り置きの料理は何をどうしても叶いません。
美味しいものを食べることが楽しみの人ならば毎日買い物に行って新鮮なものを作るべきです。

だけど忙しい中、他にやりたいことがあるのに料理に時間を割きたくなかったら味には妥協するしかありません。

 

自分が料理を始めた時に感じたことは、
「料理はどこまで覚えればいいのか」と言う事でした。
料理のレシピは無限にあり、料理番組を見るたびにこれも作れるようにならなければ、あれも家族に食べさせなくては、という圧力を勝手に感じていました。
日本は「美食」を喜び、推賞する国だと思います。

しかし、過去には美食を堕落ととらえ、良しとしない宗教もあり、仏教も飽食を戒めていますし、料理とは必ずしも美味しくなくてはならないというものでもなかったのです。

そして、現代の日本では過去に比べたら食事に関する商品は非常に進化しているので、そんなに頑張らなくてもそれなりのものが食べられます。
ドレッシングのソースより、ごま油と醤油をかけたサラダのほうが美味しいけれど、ドレッシングがあればレタスをちぎりさえすれば1品になります。

それで、良いではないですか。


ただし、ドレッシングは時間がたつと美味しくなくなるので何本も開けないで、1本を使い終わってから次を開封するようにしています。

家事に関するエッセイとか、家事雑誌で特集されている方の記事を色々読むと、買い物は毎日食べきるだけを買いに行くと言う人が結構います。自分の親たちは2~3日に1回買い物に行っています。
最初に書きましたが、それができる人はそうしたほうが良いです。

でも、できない忙しい人や、食事に関心がない人は買い物が労働や苦痛でしかないかもしれません。
私は買い物も料理も嫌いではないのですが、他にやるべきことがあるので買い物の時間はもったいないと思います。
疲れ切って帰宅して、家族4人分の食材が冷蔵庫になかったら途方に暮れます。
帰宅して、即食べられる物や下ごしらえしてある食材があるだけで、なんと心強いことかと、週末の自分の活動に感謝します。

健康体を維持するための適量が指導され、確かにそれで健康診断には引っかからなくなります。
そして身体は健康だし、とりあえず家族が標準体型を維持できているということは、学校の指導は正しい。
その範囲で食べきるための工夫がレシピではないかと思うようになりました。
健康のバランスが取れてこそ、食事には意味がある。
美食だけを追求したら、我が家の男どもときたら、肉が焼いてありさえすれば喜ぶのだから料理なんて肉を焼くだけでほぼ終わります。

 

もっと、もっとの先は「削る、減らす」に戻るもの。
食事もそろそろ「シンプル」に戻っても良いのではないでしょうか。

「これでいい」とある程度の妥協をするだけで、とても楽になります。